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くよくよする手段

少し前にお客さんから「古本であったから」と本をいただいた。お店に本棚を置いてからというもの、僕が読書家だと思われるのか本の話題になることが増えた。しかし僕は小説の類はほとんど読んでこなかったので、たいていの話にはついていけないのである。それでも借りたり頂いたり、勧められた本を読んでみたりして、この2、3年でようやく小説なども読めるようになってきた。

今回いただいたのは、以前からおもしろいよと勧められていた伊坂幸太郎の近作で、「SOSの猿」。引きこもりと西遊記を題材に、起きてしまったことの原因を追ってゆく。原因の先にはさらに何かの理由があり、その前には何らかの状況が、と続いていき、誰が悪いのか分からなくなる。

読みやすくておもしろいのであっという間に読み切ったのだが、あとになにも残らなかったなあという読後感だ。ただ、「いつまでも、くよくよしてればいいんですよ」というセリフが最後に引っかかるあたり、僕のテーマは依然として「ダメ男」なわけだが、そう思って登場人物の設定を読み直してみると、30代半ばの独身男性、海外留学までしたのに今は全然関係のない仕事をしていて、母親に「早く嫁と孫の顔が見たいもんだ」などと言われている。著者は僕より二つ上の同世代で、執筆当時それぐらいの年齢だったことが分かる。

他人の心の痛みに敏感で、発せられるSOSを察知し、相手の心象風景が見えてしまうという特異体質ということになっている。行動力のある人、冷徹な合理主義者、繊細でありながら楽観的に生きようとする母親、まさかと思えるような仕事をしている人との出会いなどを通して、自分も変わってゆくという「ダメ男」の成長物語としても読めなくもない。

その結論として、先ほどのセリフがあるのだ。今、僕らに求められていることの一つは、何かを一貫して継続していくことだと思うが、それはとても難しいことだ。何かを決めてしまえば、それが間違いだったかもしれないと思ったときにも、もうそう簡単には変えられなくなってしまう。それに、意見や立場を異にする人との衝突も避けられない。しかし何かを決めなければ、間違いにも気付けないかもしれないし、衝突がなければ何にも出会えない。

唯一継続できそうなことといえば、それは相変わらずくよくよしていくことなんだろう、と思う。くよくよしながら一進一退を繰り返していくんだろう。そして何かを得るとすれば、それはくよくよすることを止めることによってではなく、くよくよする手段を得るということかもしれないな、とも思える。この小説の主人公も、何かくよくよしながらやってゆく方法を見つけたから、くよくよしてればいい、ということになったのではないだろうか。
by barcanes | 2013-01-20 21:50 | 日記 | Comments(0)