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バッドランドと悪夢

悪夢のドン引きライブから一ヶ月、定休日の昨夜は久しぶりにCane's3の練習。スプリングスティーンの「BADLANDS」を今改めて聞くと、今までとは違った聞こえ方がしてくるとM氏が書いていたので、確かに。自分もちょっとパクって「超訳」してみた。

人は安心を求めるあまり
真実よりも不安に操られる
世の中を不安で縛り付けようとする者たちの手に乗せられてしまう
今夜は街に出て
自分の持てるものと持てないものを見極めよう

自分が愛せるだけの人の愛を信じよう
小さな人間の正直な欲望を信じよう
そして希望があれば
不安と安心の罠の向こうに見える明日を信じられる

バッドランド ここを生きるしかない
今までの借金を返すように
失った心を立て直してゆく
いつかこのヒドい世界が
このクソッタレのオレたちを
ちゃんと扱ってくれるようになるまで

生きていることを楽しむことは罪ではない
生き残ったことが辛くなるような世界がクソッタレなのだ
自分の顔を見ようともしないもう一つの顔を見つけ
この世界のもう一つの顔にもツバを吐きかけてやる

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我々にとって「仮想敵」とは何だろう。全ての人にとってではなくても、大多数の人にとって共通の「敵」があると、人々は団結して戦えるのだが、ここまでの大地震や大津波はあまりにも天災で戦えず(なにやら地震さえもアメリカやらフリーメーソンの陰謀だという説をとなえる人もいるようだが、それも「敵」を設定したい心理なのだろう)、原発も賛否が分かれて敵とも味方とも判定できない。放射能はばらまかれると敵だが、抑え込めば原子力の平和利用だと言うし。敵は東電か政府か、原発を推進した人たちかアメリカか、御用学者かマスコミか、偽善的な市民か反原発で騒ぐ運動家か。電力を供給する方か享受する方か。いじめっこかいじめられっこか。

「仮想敵」とは「必要悪」の別名なのだろう。「敵」や「悪」は無くすべきものではなく、むしろ必要なのだ。何のために?前に進むため、後ろに進むため、動くためだ。経済を動かし歴史を動かし、議論を動かしプロジェクトを動かすには、そういう何かが必要なのだ。貧困?西洋に比べて劣っているという劣等感?より豊かな暮らし?ほかより良いもの、以前より楽なもの。

我々の仮想敵とは仮想敵そのもの、必要悪そのものだ。仮想敵を作ろうとする、その心理の鏡だ。正義や悪を作り出そうとする、その善悪の感覚なのだ。我々は悪の本質、善の本質をあまりにも知らなすぎる。バッドランドとはグッドランドでもある。人間も自然も世界も、常に善悪表裏一体、分離不可能だ。だからこそ不安で危険で、人は規律や道徳を求めようとする。

自分の顔を見ようともしないもう一つの顔、この世界のもう一つの顔。それは自分と世界を善悪に分けて安心しているような顔だ。ツバを吐きかけてやるのは、そんなルールや道徳を信じて安心しているヤツらの顔なのだ。

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練習の後、知り合いの飲み屋で飲んでいると、強くはないが長い余震。青森の東通原発などで一時非常用電源が使えなくなるなどの影響があった。ようやくガスや電気が復旧し、片付けを始めていたものも崩れ、また全てがふりだしに戻ってしまったかのようだ。そのガッカリようが身に凍みる。北海道からの送電も止まり、東北電力管轄の原発も危うい。

いろいろな悪夢を立て続けに見た。銃撃を受け、逃げても逃げても、人ごみの中で危険を察知して逃げて、倉庫のようなところに逃げ込んで、ガス弾のようなものを打ち込まれ、地面に這いつくばってストローのようなもので息をして、それでも生き延びよう!と小さく声を上げたところで目が覚めた。殺されるような夢を見て、まわりは死者ばかりの夢を見て、眠れなくなった。夢の中にも善悪はない。
by barcanes | 2011-04-08 20:50 | 日記 | Comments(0)