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ぶつかる

北朝鮮が韓国領を爆撃したというニュース。だからなんだという気もしてしまうが、軍人が死に民間人も被害を受けているという事実。これは突発的な事件ではなく、北朝鮮側からすると充分に練られた作戦であるらしい。それにしても、例えるなら北朝鮮は万引きや校内暴力を繰り返す悪ガキのような印象さえする。本当は話を聞いてほしいんだよ、ちゃんと受け止めてくれないなら、もっと悪さをしてやる、と。アメリカ先生は、調子に乗るんじゃありません。同じような手には乗りませんよ。それならば仲の良い中国君に話を聞いてもらいなさいとたらい回し。そうじゃないんだ、中国も韓国も日本も、友達じゃ駄目なんだよ。それなのになんでアメリカ先生は日本や韓国ばかり贔屓にして。自立できない少年北朝鮮は、アメリカ先生に受け止めてほしいんだ。子供扱いじゃなくて、対等に扱ってほしいんだ。米朝会談を。

米朝と言えば、桂でしょ。落語で言やあオチは無難に優等生ぶった日本で。アメリカ先生に殴られたトラウマを抱えたまま理論武装の言い訳をする弱気な学級委員というところか。正当性を求めてどうする。先生!中国君や北朝鮮君がいちいちつっかかってきます!文句を言っても始まらねえ。世界は正当であるべきかもしれなくても、クリーンな分かりやすさを求めれば求めるほど、みんなで牽制し合って、つまらない人間とつまらない世の中になるのだ。

世界が一様に同じ正当性を持ったとしたら、どうなるのだろう。それが世界平和なのだろうか。抵抗したり、ぶつかったりするのは仕方のないことじゃないだろうか。でもぶつかり方というのはあるだろう。排除の殺し合いは避けてほしい。

小林秀雄の名言を集めた「人生の鍛錬 小林秀雄の言葉」(新潮社編)。年代別に時系列に並んでいるのだが、30代半ばの言葉が特に多く取り上げられている。

『歴史は将来を大まかに予知する事を教える。だがそれと同時に、明確な予見というものがいかに危険なものであるかも教える。歴史から、将来に腰を据えて逆に現在を見下す様な態度を学ぶものは、歴史の最大の教訓を知らぬ者だ。歴史の最大の教訓は、将来に関する予見を盲信せず、現在だけに精力的な愛着を持った人だけがまさしく歴史を創って来たという事を学ぶ処にあるのだ。過去の時代の歴史的限界性というものを認めるのはよい。併(しか)しその歴史的限界性にも拘らず、その時代の人々が、いかにその時代のたった今を生き抜いたかに対する尊敬の念を忘れては駄目である。この尊敬の念のない処には歴史の形骸があるばかりだ。』(昭和12年、35歳「戦争について」)

ひとりひとりの人生も、国家のあり方も、同列のように思える。過去に生きるのではなく、今を生きろということだ。今、現在に文句をつけるのは簡単だ。北朝鮮にも日本の政府にも文句をつけるがいい。「歴史の形骸」を基準にしてしまえば、過去にがんじがらめになるのは自分の方なのだ。

『僕等の望む自由や偶然が、打ち砕かれる処に、そこの処だけに、僕等は歴史の必然を経験するのである。僕等が抵抗するから、歴史の必然は現れる、僕等は抵抗を決して止めない、だから歴史は必然たる事を止めないのであります。これは、頭脳が編み出した因果関係という様なものには何の関係もないものであって、この経験は、誰の日常生活にも親しく、誰の胸にもある素朴な歴史感情を作っている。若しそうでなければ、僕等は、運命という意味深長な言葉を発明した筈がないのであります。』(昭和16年、39歳「歴史と文学」)

ぶつかるからこそ歴史と日常の必然が生まれるのであって、今を生きるということはそういうことなのではないだろうか。

『人間は、正確に見ようとすれば、生きる方が不確かになり、充分に生きようとすれば、見る方が曖昧になる。誰でも日常経験している矛盾であり、僕等は永久に経験して行く事だろう。』(昭和14年、37歳「イデオロギイの問題」)

『誤解されない人間など、毒にも薬にもならない。そういう人は、何か人間の条件に於いて、欠けているものがある人だ。』(同上)

見ることは受け止めること、しっかり受け止めようとすればぶつかれなくなるし、ぶつかれば曖昧に受け止めることになる。曖昧にも誤解を恐れず、ぶつかっていけと。今の私と同じ37歳の時の言葉。身につまされる。

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今日は祝日の早い時間に、ライブをやってみたいと言ってきた若い女の子にチャンスを与えた。チャンスを与えるなんておこがましい言い方だが、行動を起こそうとする若手のやる気を拒んで見殺しにしてしまってはいけないと思ったのだ。結果をどう考えるかは人それぞれだ。既にちゃんと少なからずファンがいて、これからも増やしていけるようなセンスを持っている子だと思う。しかし当店にも限界があり、イメージどおりの楽園はそう簡単には実現しない。なげかければぶつかり、それでもメゲずになげかけぶつけて、音楽を続けていってほしい。続けた人だけが本物になれるのだろうから。
by barcanes | 2010-11-23 20:52 | 日記 | Comments(0)